コーヒーブレイク

エッセイ『マジック ある日、あるところで』

中川 清

2007/4/23 更新


目次


その1「招待席で」 (2007/2/19)

 久しぶりに津に行ってきた。近鉄特急が満々と水を湛えて流れる木曽川の鉄橋を渡ると、そこは三重県である。

 津は転勤で四年間働いた地であり、趣味のマジックを始めた地でもある。
 あれから二十数年。「津マジック教室」はクラブに発展し、今年は節目の第二〇回発表会を迎えた。クラブに四年しか在籍しなかった私にも、一期生であるということで案内状が届いた。

 会場は三重県総合文化センターである。うれしいことに予期していなかった招待席に案内された。その席にゆったりと座ったとき、発足当時に出会ったその人のことを思い出した。いそいでプログラムを探したが、残念ながらにその人の名はなかった。
 
 あれは第一回発表会の日で、全員が胸をドキドキさせて迎えた初舞台のときだった。ピンクのワンピースに赤い靴のその人はシルクを使ったマジックを演じることになっていた。トップバッターだった彼女は緞帳の脇で落ち着かない様子で待っている。と、私の方を向いて「手の震えが止まらないの、つよーくつねって」とかぼそい声で訴えた。
 優しく撫でるのなら応じたいところだが、咄嗟のことでつねっていいものか躊躇した。開演のブザーが迫っていたので、心を鬼にして両の甲を強くつねった。複雑な気持だった。

 演じたマジックは「握りこぶしに掛けたハンカチに窪みをつくり、そこに赤いシルクを入れておまじないをかけると、ハンカチに入れたはずの赤いシルクが跡形もなく消えてしまう」というものであった。
 幕の袖から緊張している様子がよく見えた。それでもなんとか失敗なくやり終えた。舞台袖に戻ってきた彼女に、拍手のジェスチャーをしながら「よかったよ」と迎えた。
 
 家に帰って、当時のアルバムを開いて見た。彼女は先生の横でにこやかに笑っている。

その2「小さな手」 (2007/2/26)

 五月の連休に、近隣の町会のお年寄りたちを対象にした集まり「おしゃべりサロン」に招かれて、マジックをしてきた。集まりは三十人ほどで、その中になぜか一人だけ子供が混ざっていた。

 このサロンは前回までは、ウクレレ、大正琴、ライヤー(竪琴)などの奏者を迎えて演奏を聞いたり、歌の指導者を迎えて一緒に歌ったりしたという。その後はいつも、賑やかなおしゃべりの場となる。

 さて今回のマジックだが、一般的にマジックはお年寄りたちの反応はよくないので、できるだけ派手なもの、現象がハッキリと分かるものを披露することにした。花が瞬時に出現したときや、ロープが投げテープに変化したときには、狙いどおり大きな拍手があった。 

 輪ゴムが指から指へ飛び移る簡単なマジックを講習したこともあって、ほとんどの人が満足した様子だった。

 マジックが終わって、道具の後片付けをしていると、一人だけいた子供がやって来て、「握手して下さい!」と、小さな手を差し出した。喜んで握手に応えると、弾ける笑顔をみせた。彼の手は柔らかく、きれいな手であった。予期せぬファンの出現に、私の喜びも大きかった。

 聞くと彼は小学校四年生で、マジック好きの家族らしく、この日はおばあちゃんが彼と彼のお母さんを誘って、三代で来たという。
 これまでも小学校や幼稚園で何度もマジックをしたことがあるけれども、子供から握手を求められたのは初めてだ。握手は友情表現の一つである。せっかくだからと、彼に簡単なマジックをひとつ教えてあげた。

 向こうの席で、おばあちゃんとお母さんが笑顔でこちらの様子を伺っている。あるいは、おばあちゃんに「握手してもらっておいで」と、言われて来たのかも知れない。おばあちゃんは席に戻った孫の頭をなで、私に向かって軽く会釈した。

その3「海辺の老人ホームで」 (2007/3/5)

(注)『花と絵とマジックと』(発行:新風舎)に収録

 由比ガ浜を望む絶好のポジションに特別養護老人ホームがある。二年前にできた新しい施設、定員は六〇人で現在は長蛇の待ち行列ができているそうだ。

 今週はクリスマス週間、そして今日はボランティア活動として高校生男女二人による音楽演奏と私のマジックを楽しんでもらうことになっている。食堂の椅子にお年寄りたちが座り、その周りにスタッフが取り囲んで始まるのを待っている。

 お年寄りの集中力維持は短時間だと言うことで持ち時間は各二〇分とされている。

 マジックはクリスマスにちなんだもの、派手で分かり易いものを用意した。喜んで反応してくれる人もいるが、場所柄か、総じてそうでない人のほうが多いようだ。反応の良し悪しどころか、昼下がりのこともあって居眠りをするお年寄りもいたりした。

 高校生の音楽はクリスマスソングとポピュラーミュージックで、優しい音色のオーボエとピアノの意気が合っていて気持よい。しかし、お年寄りたちはいい気分になり過ぎたのか居眠りする人が増えたようだ。

 演奏が終わると代表のおばあちゃんが前へ出てきて、「有り難うございました。また来年も来てくださいね」と、たどたどしい語り口で私たちに贈りものを手渡してくれた。互いに有り難うと優しく握手を交わした。

 その後、海の見える喫茶室でコーヒーを頂いた。園長さんが高校生に「居眠りをしている人たちがいてごめんなさいね。でもね、私が見る限りでは、いつもの居眠りする姿と今日の姿は全然違うんですよ。あれでもしっかり聞いているんですよ」と。

 居眠りもあったが、マジックと音楽のコラボレーション、若い高校生とのボランティア、私にとっては充実した、いい一日だった。

 ピアノの女子高生はリンゴのような頬で愛らしかったし、『オバー・ザ・レインボー』の曲も実によかった。

その4「何になりたい」 (2007/3/12)

 二月二二日、近くの小学校で催さた「二分の一成人式」に、ゲストとして招かれてマジックを披露してきた。私には耳慣れぬこの式は、一〇歳になる小学四年生が対象で、成人式まであと一〇年という時点で、「いままでの成長を感謝して、将来の夢を宣言する」ことを目的としている。

 「これからの夢」と題して、一人ひとりが将来「何になりたいか」を話すプログラムがあった。その夢にはサッカー選手、野球選手、看護師などが多かったが、犬の美容師、シンガーソングライター、ファッションデザイナー、パソコンゲーム作りなど、現代を感ずるものも幾つかあった。

 式には宣言のほかに歌や劇、フォークダンスやゲームなどがあり、マジックもその中に組み入れられていた。式というイメージの堅苦しさは全くなく、明るく楽しいものだった。

 式に出ながら振り返る。私が小学四年の時はどんなだっただろうと。戦後六年目の昭和二六年である。

 テレビもなく情報が少ない時代、接触不良のラジオをたたきながら聴いていたのが野球と相撲である。清の「き」の付く巨人と栃錦清隆を応援していた。何ともいい加減なものである。その外には、その頃から始まった子供向けの番組、新諸国物語「白鳥の騎士」を夢中になって聴いていた。

 水田が広がる加賀平野の一農村。同年代の遊び仲間がたくさんいたこともあって、外遊びには事欠かなかった。

 稲刈りの済んだ田圃で木の棒をバット代わりに振り回したり、ターザンをまねて竹竿で川を跳び越えたりした。

 川で鮒やゴリや鯰を捕ったり、蜘蛛の巣を使ってトンボを、穴に水を入れて穴ゼミを誘い出して捕ったりしたものだ。杉鉄砲、缶蹴り、釘さし、ビー玉、……思い出は溢れ出る。

 私の四年生の頃は遊んでばかりで、「何になりたいか」など、微塵も考えなかったような気がする。

その5「マジックの名刺」 (2007/3/19)

 マジックを長年やっていると、ちょっと変わった名刺を手にすることがある。ハートのマークやシルクハットなどが印刷されているものはこの世界では珍しくないが、なかには名刺それ自体にマジックが仕掛けられているものがある。

 そういうものの一枚に、あるプロマジシャンの名刺がある。それは二つ折りになっていて、上の紙には「?」マークが書かれた扉がある。それを開けると美女が出てくる。さらに上の紙全体をめくれば、先ほどの美女が犬に早や替わりする、というものである。

 私もマジックの名刺を二種類持っていて、ともに易しいマジックを組み入れている。ひとつは「横浜マジカルグループ」の名刺で、一見すると立体的で不思議な形状をしている。紙の三箇所に切れ目を入れて折り、名刺に貼ったもので、もう十年以上も前から愛用していている。

 もうひとつの「いたちマジッククラブ」のものは最近作である。名刺の両面にトランプのハートが印刷されていて、表裏をひっくり返すごとにハートの数が変わるというものである。

 このようなマジック仕込みの名刺には、初対面同士の二人を早く打ち解けさせる効用がある。

 四年前にリタイアして、ある趣味の会に入ったときのことである。初対面の人に名刺を渡そうとしたら「いらない、いらない!」とそっけなく断られた。おそらく会社の名刺だと、そして何で退職してまで会社の名刺を、と思ったのだろう。そのようなことはするものではないと心得ていた私は、彼の反応に一瞬戸惑った。

「実は趣味の名刺なんですよ」と改めて差し出すと、「それならいいんだよ」と手のひらを返したように笑顔で受け取った。そして私の名刺を上から横から斜めから眺めながら、「どうなってんだ、これは?」と唸った。

その6「ゲストマジシャン」 (2007/3/26)

 12月25日、教会のクリスマス礼拝の日である。午前はいつもの日曜日のように静粛に礼拝が行われる。今日の説教はキリスト降誕にちなんだ話である。昼食後のお楽しみ会のプログラムにはハンドベル、賛美歌、プレゼント交換、そして私のマジックが組まれている。

 この教会の宣教師はドイツ人で三人の子供がいる。一番上の子は小学二年生の男の子で名をサムエルと言う。礼拝の始まる前、少し時間があったので彼に簡単なマジックを教えた。表向きのお札が裏向きになるマジックである。予想以上に早くマスターした。

 彼はマスターすると嬉しくなって来る人、来る人に「見て、見て!」と覚えたてのマジックをやって見せる。殆どの人から「あら、上手ねー」と褒められて、頭を撫でてくれる人もいる。もう得意満面、ゲルマン人の高い鼻が一層高くなるのである。

 その彼しばらくして、私のところにやって来て耳打ちする。「中川さんがマジックをする時、ぼくもやっていい?」ときた。殆どの人に既に見せているのだけれども、ここは喜んでよしとする。ただ、私と一緒にやることだけは内緒にして、いきなり彼を紹介することにした。

「今日は特別ゲストをドイツからお招きしました。ミスター・サムエルどうぞ!」と。彼は恥じらい気味に出てきて、普段から可愛がってくれているおばさんをお客さんに指名して見事にやってのけた。拍手喝采、雨あられ、私のそれよりも遥かに大きかった。宣教師もお母さんも妹も嬉そうに見ていた。

 私がマジックをする時には最前列に来て大きな目を見開いて真剣に見る。それでも物足りないと言わんばかりに、床に倒れこんで下から私の手元を覗き込む。可愛いものだ。

 彼の年代は最もマジックに興味を示してくれる年頃で、日本の子供を含めて万国共通であるようだ。     

その7「いいお客さん」 (2007/4/2)

 マジック教室の人たちに最初に教えなければならない原則がある。それはサーストンの三原則と言われるものである。

1.奇術を演じる時、あらかじめ演技の内容を説明してはならない。
2.同じ奇術を同じ場所で、同じ観客の前で繰り返して演じてはならない。
3.タネあかしをしてはならない。

 これらを要約すれば意外性を大切にしなさいと言うことに尽きる。

 この三原則を教えるときに、もうひとつ言葉を添えている。それは「いいお客さんになりましょう」という言葉で、観客になったときの心得である。

 いいお客さんとは拍手をしてくれる人であり、「ワァー」とか「凄い」とか反応してくれる人である。

 反対によくないお客さんとは無反応の人であり、カードを一枚引いて下さいと演者から頼まれた時に、カードの中ほどから引けばよいのに、一番上とか下のカードを引く人であり、「見えた!」とか「知ってる!」とかの声を発する人である。

『人にしてもらって嬉しかったことは、人にしてあげましょう』という教えをマジックの世界に置き換えたもので、これが「いいお客さんになりましょう」のこころである。

『いたちマジッククラブ』は二歳のヒヨコのクラブであるけれども最近ミニ発表会をしてチビッコたちから快い反応をもらった。また大勢で歴史のあるクラブの発表会を鑑賞してきた。そこではいいお客さんになってきた。演者とお客さんの二つの立場を、時間をおかずに体験したことになる。

 鑑賞会の時には拍手に加えて、感動を与えてくれた演者には、見送りのロビーで「エールを贈って握手をするんだよ」と助言した。

 すると女性たちは「私は三人と握手してきました」、「私も三人としたわよ」と嬉しそうに報告してくれた。

その8「水彩画展の会場で」 (2007/4/9)

 水彩画教室の作品展会場に一人のおばあさんが女の子を連れてやってきた。彼女は、私が老人クラブで教えるマジック教室の生徒で、間もなく傘寿ときく。ハガキの案内状にメモした「会場にいる日時」を見て来たとのことだった。

 彼女は「先生、私が教室で習ったマジックをこの子に教えたんですけれど、これでいいのか見てやって下さい」と言って孫を紹介した。孫の美奈子ちゃんは小学校三年生で、この春から父親の転勤でフランクフルトに移り住むことになったという。それで現地に行く前に、祖母伝授のマジックをきっちりとマスターして、向こうの日本人学校の子供たちや、ドイツ人の子供たちに見せたいとのことだった。

 いささか場違いの感はあったが、会場脇の休憩椅子のところで美奈子ちゃんのマジックを見てあげた。バッグから道具を取り出しながら、恥ずかしそうにやってみせた。伝言ゲームではないが、おばあちゃんからしっかりと伝わっていないところがあり、手をとりながら直してあげた。

 そして不思議なことが起こる前には、おまじないを掛ける方がいいよとも教えた。おまじないを掛けながら指をパチンと鳴らすことをやってみせると、美奈子ちゃんも上手に鳴らすことができた。その音は澄んできれいな音だった。小さな感動だった。こんなにも大人の音とは違うのだと。

 孫に「おばあちゃんもやってみて」と言われて、おばあちゃんもやってみたが、ちっとも鳴らなかった。鳴らない指をくるくる廻しておどけてみせた。

 マジックの特訓が終わってから、作品展の風景絵を三人で見てまわった。別れ際に美奈子ちゃんが「ダンケ シェーン」と言った。「???」。そうだったのだと一瞬遅れて気が付いた。そして美奈子ちゃんから春の花であしらった小さな花束を受け取った。

その9「福祉施設で」 (2007/4/16)

 早いもので「いたちマジッククラブ」が発足して三年が経った。陸上競技に例えるならば第一コナーに差し掛かったところだろうか。クラブの名前も地域情報誌に掲載されたこともあって徐々に地元に浸透してきた。そしてクラブにも、ぼちぼち出演依頼が来るようになった。

 三月初旬には横浜市栄区の福祉施設であるケアセンターから、中旬には身障者養護施設からボランティアの要請があった。クラブのメンバー数人ずつで出掛けた。

 ケアセンターへ行った日は、月に一度のイベントの日であったので、我々のほかに食事を作る人たちなど普段よりも多くのボランティアの人たちが活動していた。お客さんも施設に通う人たちのほかに、近隣の子供たちも呼びかけられたらしく大勢来ていた。

 お年寄りばかりだと思っていたところに、子供たちが入ったためか、場が明るくなりマジックに対する反応も良くなったように感じた。そんなことがあってか、今度が初めてのボランティア活動である中年男性が「嬉しくなったよ、私なんかのマジックでワァーなんて、驚いてくれるんだもん」と目を潤ませた。彼の声を聞いた仲間もうなずいた。お客と演者と仲間の喜びの連鎖反応である。

 その彼が一転「マジックのお陰でボケがなおったよ!」と冗談を飛ばすと、同行の女性も「私は無口でなくなったわよ」と応ずる一幕もあった。
もうひとつの身障者養護施設ではお客の数は約十五人ほどだった。手足の不自由な人たちが多く、大半が車椅子のお世話になっていた。拍手ができない人もいるとのことだったが、代わりに「ワァー」、「凄い」、「何で」など素直な声の反応が多かった。

 演技が進むにつれ、みんなの目が輝いてきた。車椅子から身を乗り出す人、車椅子を揺さぶる人がいたりして、我々との意思のキャチボールが上手くできたようだ。

その10「「さよなら」よりも」 (2007/4/23)

 私が教えるマジック教室の生徒に、小学校の女性の先生がいる。教室で習ったマジックを「学校行事の時などに、いろいろやらせてもらっています」と嬉しそうに話す。子どもたちには大人気で、同僚の先生たちにも喜ばれるとのことである。

 その先生から電話が掛ってきた。この三月で定年退職することになって、四月の初めに、よその学校に異動する先生たちを含めて八人の離任式があるという。

 「その場で簡単なマジックをしたいんですけれども、何かいいもの、ありませんか?」

 「やりたいものだとか、何か考えているテーマなどありますか? 例えば『さよなら』とか」

 「そうですね『さよなら』では淋しいから『ありがとう』にしたいですね・・・・」

 八人もの離任式なので、それほど時間がとれないこと、講堂のステージで行なうこと、などの条件である。
後日、レストランで会って二つのマジックを提案した。ひとつは白いカードを三枚見せた後、おまじないを掛けると三枚のカードが「ありがとう」の三枚に変わり、白いカードが雲散霧消してしまうもの。
もうひとつは白と赤、青、緑の四枚のシルクを袋に入れておまじないをすると、白いシルクに「ありがとう」と三色で書かれた文字が飛び出してくるというマジックである。

 どちらも短時間の演技である。結婚披露宴用に作ったカードとシルクでやって見せた。シチュエーションこそ違え、マジックの現象はすぐに分かったようで、「いいですね! いいですね!」の連発だった。
どちらを選ぶかは本人に任せるとして、いずれにしても「ありがとう」のカードかシルクを手作りしなければならない。その意気込みは大いにありそうだ。

 別れ際に一言「最後だから、格好よく決めたいんですよ」と明るく笑った。

(終わり)


「花と絵とマジックと〜退職後を楽しく〜」

中川 清 著

新風舎 2006年7月刊

趣味の世界、そして仲間とのふれあいが何より楽しい。
スローライフから生まれる、豊かなくらしと心。
退職者の皆さんへ、第二の人生の楽しみ方をご提案します。


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