| イエスキリストがベツレヘムの厩で生まれた時、東方から三人の博士が訪れました。三人の博士は乳香、没薬(なんのこっちゃ?)、黄金を贈ってイエスの誕生を祝いました。新約聖書でよく知られた挿話ですね。
この、「博士」と言う訳語には諸説があり、占星術の学者、賢者、賢人、天文学者、預言者などとも訳されているようです。この人たちは一つの特別な星の案内に導かれて、イエス誕生の馬小屋にたどり着いたのでした。(そういえば、映画「ベンハー」の冒頭のシーンがこの三博士の印象的な映像でした。)
ともあれ、この「博士」はギリシャ語ではMAGOS、英語になってMAGIとなりますが、このMAGIがMAGICの語源であることは、どうやら異論が無いようです。どうも、「マジック」と言う言葉は、エンターテインメントよりも、神秘的な、超自然の力をあやつる特殊な能力と、それを使える人を意味したように思えます。現代の「合理的な技法・仕掛けにより不思議な現象を見せる芸能」とは著しく異なっていたようですね。
三人のマギが「東方」から来たと言うのも何か象徴的です。今でも西洋でマジックの呪文として定着した「アブラカダブラ」などは、欧米語と言うよりは、東洋(アラブ世界?)の、訳のわからない言葉と言った雰囲気ですものね。
その後、「マジック」と言う言葉は、中世キリスト教の変質と連動して、黒魔術白魔術などという、おどろおどろしい言葉と共にますます普通の人間世界の娯楽とは乖離していき、異界、ことに悪魔の世界との交流などのイメージが定着していきました。いわゆる「魔法使い」「魔女」とは、魔界の力を駆使して、悪魔に奉仕するために超自然現象を起こす能力者であって、決して「娯楽提供者」や「おちゃめな超能力者」ではありません。お姫様は魔法使いに魔法をかけられて、白鳥やヒキガエルにされてしまいます。「魔法使い」や「魔女」には人間世界に対する「邪悪」の意思があるようです。
後の「エスパー・超能力者」などと違うところは、自分自身が超能力を持つわけではなく、悪魔の世界の力を使う秘密を身に付けたもの、と言う設定ですね。そして、その彼らの悪魔との交流の儀式が黒魔術です。中世の魔女狩りなどは、まさにこのまがまがしい異界との交流者たちをむりやり洗い出して、人間世界から駆逐すると言う名目の元に行われた、悲惨な迫害の歴史です。
もちろん、マジシャンたちは一方的に被害者であった訳ではなく、中には高度な技法やトリックなどを使って、自らが特殊な超能力者であるという設定で、うまい汁を吸ってきた連中もいたに違い有りませんが…。(今でも時々いるのかな?)
こんな暗黒の中世もようやく終わりを告げようとする1584年、マジックというものには合理的なやり方があるので、別に妖術や悪魔の秘法ではないのだという、啓蒙書として現れたのが、かの有名なレジナルド・スコット「妖術の開示」でした。(当時の現物を某所で見たことがあります。古色蒼然、宝物扱いでした。) この書物は別に手品の教科書として書かれたのではなく、不思議な技もきちんと合理的に実現可能なのだと啓蒙するのが目的の書です。
1584年といえば、日本では豊臣秀吉の全盛時代。徳川家康と「小牧長久手」で直接対決して、大決戦をやっていた年です。こんな時代から、欧州ではマジックに対して既に近代的な研究が、芽吹き始めていたというのは驚きです。急に話が飛躍しますが、日本歴史の中に登場する有名なマジシャン果心居士は、秀吉にもその不思議な術を見せたらしい。とすると、彼はレジナルド・スコットと同時代の人だったんですね。
よくマジシャンの間で引き合いに出される、ロベールウーダンの言葉として、「マジシャンはマジシャンの役割を演ずる俳優である」というのがありますが、これは訳によっては全く意味をなさない循環表現になってしまっています。あとの「マジシャン」を「魔法使い」と訳してみても、よく見るように、「マジシャンは魔法使いの役割を演ずる俳優である」 となるだけですね。
なんとなく日本語では同じことを言っているように聞こえてしまうので、これは一体何の意味だ?と、いつまでも議論を呼び、果ては「俳優である」というところに力点を置いて議論を展開するムキもあるようですが、これは全く見当違い。前の「マジシャン」は、現代の手品師のこと、あとの「マジシャン」は中世黒魔術の世界の、異界との交流者のことです。欧米では何の疑問も無い言葉なのに違いありません。
“奇術は、魔界との交流を身に付けた超人のふりをして演技するものだ”ということですね。魔法も手品も混沌としていた時代から、近代マジックを開拓したロベールウーダン(Robert-Houdin)の言葉だからそれなりの重みがあるので、別に、たいしたことを言っているわけではありません。現代では、一つの演技スタイルとして、そういう表現方法もあるだろうなあ、といった程度のところです。(ついでながら、かの脱出王フーディニ(Houdini)はウーダンにあやかった芸名です。)
最近は、「奇術」とか「手品」とかいう言葉を使う人はあまり見かけなくなりました。代わって、「マジック」とか「マジシャン」とか言う言葉が、日本社会にも定着してきたようですが、これらは当然ながら、西洋の歴史的文化的背景を背負った言葉なのですね。
私なんかは、昔ながらの「手品」や「手品師」って言葉の方が、なんとなく好きなんですけれど…。
今回はこれまで。ではまた次回。
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